柴犬の孤独

2001年4月7日
明後日から、学校が始まる。
3年ぶりに人並みに学校に通うことになる。
多大に不安。

ずっと、ひとりでもいいし、ひとりがよかった。
そんな気持ちでいたから、リアルともだちは、今、ひとりもいない。それをきいた人は(ネット上で)
みんなかわいそうがってくれるけど、別にいいんだよ、これでも。ともだちがいないと不便かな・・・
ぐらいにしか、もう、今はおもえないし。望まなかったのは、私なんだから・・・。あるいは、「ともだちは欲しくない」って言ってる私がかわいそうなのか?あわれっぽいのか?
・・・う〜ん。
「周りに誰もいないやっ」て気づいたとき、そのときは、ラクになったのよりも、寂しさにショックを受けた。ひきこもって、外部との接触をすべて断ち切ってたくせに、去っていった人たちを、心のどこかで恨んでいたのかもしれない。人同士の関係なんて、続かせるためには、それなりの相互努力が必要なのに、私はその努力から逃げたのに、私は甘えていた。ショックがショックだった。
本当に現実に、関わりあう人がひとりもいないっていうのは、すごい大きな孤独を感じさせることだった。「人間は結局、皆、孤独をしょって生きていく」系の本来的な、そういう問題というよりは(それもあるけど・・・)、どっちかっていうと、体がひとり・・みたいな、肉体的に(エッチな意味合いじゃなくて)他人との交わりがないっていう不安みたいな・・・。自我を確かめる術を失っちゃったって感じだった。
ただ、家族とは一緒にすんでいるし、家族との関わりだけが唯一、私と外界をつないでくれていたわけで、こんなにも家族の必要性を感じたことはなかったかもしれない。・・・まあ、「家族」っちゅうものが本当は最大に私を縛り付けていたものなのかもしれなかったけど。この家族に所属した(変な言い方・・)ことで、私は変になった。これは事実だと思う。けど、・・・この家族がいなければ、「私」も存在しないわけだし、なにしろ、このときは寂しかった。家族がいなければ、発狂してたかもしれないぐらいの孤独感だった。
 しかし、慣れというのはすごいもんで、この状態にもだんだん、体も心もついてくるようになった。
で、なれちゃえば、ラクなことこの上なし。傷つくことなし、対人関係で悩むことなし。

そんなこんなな私であるのに、学校生活にはたして、なじめるのか!どうなんだ!自信ない!
多大に不安だ・・・

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